サグラダファミリア教会から北東へ、真直ぐ15分ほど歩いた場所に建つ「サン・パウ病院」。設計したのは、バルセロナ建築学校でガウディにも教えていた「ドメネク・イ・モンタネール」という地元カタルーニャの天才と呼ばれた建築家。世界遺産に登録されていながら最近まで実際に病院として機能していましたが、現在は補修工事中の為、正面の建物以外は見学できませんでした・・・残念。一部は、とある機関の建物として利用されるそうです。
「芸術には人を癒す力がある」と考えた彼は、ムデハル様式を彼流にアレンジし病院の内外を豊かな色彩と美しい装飾に彩りました。日本の白くて陰湿な雰囲気の病院とは全く違った、まるでおとぎの国か天国(縁起でも無い?)の様な世界が拡がっています。このエントランスの空間が、祈りと癒しの空間でもある教会にも似ている様に感じられるのは、そんな彼の思想が反映されているからかもしれません。
正面の建物から敷地を眺めると、統一された様式を纏いながらバリエーション豊かな建築群が目に飛び込んできます。この病院の敷地が一つの街の様でもあり、今風に言えばテーマパークの様でもあります。広場を中心にゆったりとした間隔で建てられた病棟群。数多く植えられた樹木は人々の心を癒した事でしょう。また木々の深い緑とレンガ色の外壁との美しい対比も素晴らしいです。
14.5万平方メートルという広大な敷地に大小48棟の建物が建っており、1902年の着工から完成までに30年近い年月を要したそう。建物を分散配置しているので巨大病院にありがちな威圧感は感じられず、人がその人生の一時を過ごす場所に相応しい空間とは何か、そこに建築家の思いやり、愛情を感じる事ができます。
一番上の写真の玄関前から振り返ると、通りの延長線上にサグラダファミリア教会が見えます。ドメネクは自分より年下のガウディに対して強い嫉妬心を抱いていたらしく、この病院の設計者選定の過程で一つの疑惑が発生します。
実はこの病院の設計者を選ぶコンペティション(設計競技)で一等を取ったのは、ドメネクでは無くて他の建築家だったのです。つまり本来なら彼がこの病院を設計するはずではなかったのです。政治家(国会議員)でもあった彼が裏で何をしたのかしなかったのかは遠い過去の謎のままですが、ガウディの手がけていた教会を臨むこの地に建つ病院の設計において、自分の力や存在感を示したかったのかも知れません。
しかしガウディと同様に、自身最後の仕事の完成を見ることなく亡くなったドメネク。この通りの両端で相向かい合う二つの建築の間に立つと、地元カタルーニャの為に生涯を捧げた二人の建築家の息吹を今に感じる事ができます。